優越感か劣等感か

ただ思いついただけなので、参考にしないでほしいのですが…

 

誰かが困っている時や不安を抱えている時、助けてあげた時、なんとも言えない優越感を感じる時がある…

 

福祉職なので、ただ少しお手伝いをしただけでも、感謝され…

 

それが…なんとも変な優越感だった

 

そして、感謝されることになれ

 

無理難題を言う人に、答えよう答えようとして、やってもやっても満たされず、疲れ切ってしまうことがある

 

不思議な感覚

 

嫌な自分がいる

 

感謝されないとあの人はだめだとか言う自分もいた

 

他人からとってきた満足では人は満たされないようになっているのかな?

 

やっぱり自分が心から楽しいことが大切になのかな〜?

 

子供たちもおもちゃとりあったり、ゲームで勝った負けたして、一瞬優越感を得るんだけど

 

乱暴な子は、繰り返してる

満たされないよ〜って

 

個別で話聞いて、学習ではなく、ナンプレや見本合わせや神経衰弱、折り紙、塗り絵、知的な遊びを広げて、1人で楽しめるものを持ち始めると落ち着き始める

 

作り出す喜びから、共有する喜びに変わっていく姿を見てきた

 

何かを想像して作るというのは、かけがえのないことかもしれない

 

学校では、合わせること、課題をこなすことに重きを置かれるので、一見忘れがちだ

 

ゲームを全否定することはないけど、ゲームも反応を楽しむもので、人の反応と一緒で満たされないから、次々とソフトを買い求めてしまう

 

ゲームを作る側に回ってしまうと想像性が磨かれ、本当の満足につながるのかな

 

みんなに合わせないといけない。

忘れ物したらいけない。

目立ってはいけない。

ルールを破ってはいけない。

 

とか本当は、どうでもよくどんなに自由な発想で生きられるか

 

変わってても、人から受け入れられなくても、想像し、作り出すことは、人として大切なことかもしれない

 

会社員として勤めるならば、役割を果たしてお給料をもらっているので、役割を果たす。

 

それ以外では、自由でいい。

 

全ての役割、母親としてや、パートナーとしてや果たせないことがあってもいい

 

それよりも自由な発想を大切にすることがいいのかもしれない

 

息子の発想、パートナーの発達、私、犬、どれも大切で違ってていいんだな。

 

会社でマウント取ってくる人、責任丸投げの人、みんな家でやってね〜ってことなのかな。

 

私は、満たしてあげれないよ〜って。

 

だから、発達心理の先生は、知的発達が1番大切だと。

 

運動して、知的な遊びを広げられる集中できる体を作ってほしいと。

 

運動して、充分その子に足りたなと言う状況になった時、体の力が抜けて、集中しはじめる。

 

これは準備段階だったんだ。

 

そのあと、知的な遊び、本人が自発的に取り組みたいことの少し難しいことを提示してあげると自ら考え考えて発見したことで、脳の可塑性につながる。

 

息子の場合は、運動から知的な遊び、自発的な遊びを奪ってしまってた。

 

こちらのやらせたいことやらせるのに必死だった。

 

 

心→運動→知的な遊び

 

なんだな〜

 

そして、今日は、自分自身に何が出来るかな〜

 

思い出したけど、自閉症の子達は記憶に優れている

 

勉強や暗記ものが得意で、この子は出来るとやらせてしまうことがある。

 

だけど、実生活で生かされないことが多い

 

掛け算が出来ても、買い物で活かせない

 

漢字が書けても文章が読めない。

 

話すことが出来ても相手を思いやれない

 

そこをつなげるのが発見や自発的な考えや想像力。

 

見比べる力や細かなところまでの模範、合わせる力。

 

体幹から手先までスムーズに動かせるから出来ることで、転びやすさや過敏さを運動で取ってからなんだな〜