人との距離
人との距離感について考えていた
両親と私の距離感
言うことを聞けば、猫可愛がりで優しくしてくれる
両親の思うようでなければ、叩かれたり、何時間も怒られたりということがあった
生きてる意味は、何だろうこんなに怒られて、必要でないのではないかと幼心に思った
特にADHDなのか理解力が追いつかない面があり
学習についても、なぜ分からないと言われることが多かった
片付けも苦手だった
先生からも前に立たされ怒られることも多かった。
だけど、男の子ではないから、反発できない。
問題行動も起こさない。
ただ自分を責めるだけだった。
怒られるだけのコミュニケーションを親からもらっていると
そういう風に周りともやりとりしるものだと勘違いしてしまっていた
仲良くなりたい子がいても、上手く言えなかったり、嫌なことを言って気を引こうとしてしまったり、相手に何かを押し付けたり。
コミュニケーション能力が著しく低下してしまっていた。
それが長年くるしかった。
スピリチュアルカウンセラーのみちよさんに相談したり、配信されている動画を繰り返し見る中で。
自分自身を大切にしていなかったことに気づく。
人との距離ではなく、自分と自分が上手く対話出来てなかった。
自分はだめだ。相手の言うことを聞かないと怒られるから、自分の気持ちは封印して、感じないものとしてた。
自分で自分を知らない間に責め続けていた。
でもそんな必要はなかった。
確かに両親や先生から受けたことは、現実的に何かしら、社会性に欠けていたから、指摘されたことで。
一つの出来事なだけで。
出来なかった幼い自分を責める必要はなくて、1番自分が出来ない自分の味方でいてあげたらよかった。
幼かった私には出来なかったけど、今の私は寄り添ってあげれそう。
そこをどうしたら、改善できたのか。
どこが悪かったのか反省することも責めることもなく。ただ、そういうことで、悲しかった気持ちを分かってあげる
言うことを聞かないと受け入れてもらえないという思いから、人の困っていることや問題を背負いすぎてしまっていた。
ある男性が親の期待を背負って生きてきて、上手くいかなかった時に、命を絶つ決意をされた
親の期待に添えない自分とやりたいことがある自分を押し殺しても、苦しくても、その先の苦しいことを選んでしまった
人は、人の期待や思いを背負って生きると、自分が潰れてしまうようになっているそう。
中には期待を背負って喜びに変えられる人もいる。
喜びであればいいけど、苦しみであるなら、手放した方がいい。
そうして本当に自分を大切にして、自分のやりたいことに答えてあげることを続ければ、人のやりたいことに気づいてあげられる。
今はその入り口に来た。
こんな大切なことに気づかせてくれたことに感謝したい。
誰もが自由にやりたいこと、心地いいことが出来る世界なんだな〜
意識で気付けるかだけなんだな〜