愛されたかった
仕事中は、あれほど脳科学にこってきたのに、今は打って変わってスピリチュアルに夢中
今日の気づきは、気づく事って何だろうっていうこと
相手が嫌だなと思う時、自分が何かしらその人の中に、自分が嫌だと思っていることが反映されていることが多いと。
ふと気になったのが、「愛されたかった」というキーワード
たしかに、たしかに 全てにおいて、そのキーワードが心に浮かぶ
なのに、この人嫌だな。逆に、すぐに助けてあげないとと思っていた。
なんだろうね。
相手に嫌なところを見つけた時、最低だなと思っていたけど。
そういう風にふるまった時に、自分が自分に最低だなと声を掛けていたこと。
本当に「最低だな」といいたかったのかな?
「愛されたかった」というキーワードから考えると
その部分が癒されたかった。その部分まで愛されたかった。
いじわるされるかもしれない・何かを奪われるかもしれないが逆転して
「いじわるしたら嫌われる・何かを奪えばきらわれる」それでも愛されたかった
突き詰めていえば、自分のものすごく嫌な部分を愛せるか、愛してほしかったのではないだろうか。
綺麗な自分をイメージしがちだけど、人間に生まれてきたのだから、いいところも悪いところもある。
自分の嫌なところを隠さないで、そんなところも愛してほしかった
なのか。
あまりにも自分に対してきれいなイメージをもちすぎていたのか。
だけど、地球上では、陰陽があり、きれいなところもきたないところもある。
それを両方認めた所で、一番いいのは何かを選ぶことが出来るんだ。
そういうことだったのか。
だれも自分の汚いところ見たくない・知りたくない・自覚したくない
だから責める・怒られる・閉じ込める。
閉じ込めすぎたー!
確かにいい子になろういい子になろうと他人軸になればなるほど、問題行動や心が苦しかったな〜
他人の期待に答えると自分が崩れたり、疲れるんだな
自分の気持ちに答えてあげることが大切なんだな〜