子供が怒ったり泣いたりした時

今日は、モンテッソーリ教育のボイシーを聞いて

 

子供が怒ったり泣いたりした時、思い通りにいかない、悲しい感情を表に出してる、溢れたりしてる状況。

 

大人になると自分をコントロールする力が発達しているので、こういう風に感じたんだなと咀嚼して受け入れることが出来る脳の発達になってる。

 

子供は、まだコントロールする能力が未発達なので、大人が変わって自制してあげる役割をもってるそう。

 

それが嫌だったんだね。とか受け入れてあげたりすることでブレーキをかけてあげる。

 

そこで、我慢しなさい。そんなこといったらダメでしょと感情で返してしまうと、ブレーキがかからず加速させてしまうそう。

 

大人がブレーキ役をすることで、自制心や自己肯定感を育んでいけるそう。

 

そのために、大人が心に余裕があったり、満たされていることが大切だそう。

 

ほんとにそうだな〜

大事な役割を持っていたな〜と思った。

 

職場でも、不満を言ったり、こちらを攻撃してきたり色んなトラブルがあるけど、イヤイヤ期と一緒だな〜って思った

アスレチック

先週、息子と久しぶりのアスレチック。

 

前に入っていた女の子とお母さん。

 

女の子は、多動気味かな?という感じ。

 

お母さんが付き添って一緒にやってる姿は、素晴らしかった。

 

ADHDの子は、過敏性や色んな感覚があり、物事に集中しにくい傾向

 

普通の赤ちゃんなら、お母さんと目を合わしたり、動きを追ったりするところが、自分の見たもの、興味のあることにまっしぐらになってしまう。

 

アスレチックや体に重みを感じると集中しやすくて、お母さんが側にいてくれると安心感が増すので、より取り組みやすくなる

 

そんなことから、少しずつ周りをしっかり見る力をつけていく。

 

女の子のお母さん。よく気づいたな〜

一緒にやって素晴らしいな〜と思ったい出来事でした。

抑えてきた気持ち

仕事がうまく行かなくて、何もかも嫌になって

 

今までが我慢してきたと気づいて

 

我慢=仕事、人間関係

 

と気づかなかった

 

認めてほしいという気持ちが強くて責任、我慢を追いすぎていた

 

自由=自分らしさ

 

なんだな〜

 

もっと自分を自由にしてみよう!

何もかも嫌になってみて

職場の転職にしくじり…

 

元の職場に…

 

何もかも嫌になって…泣けてくるなと思って

 

体も動かない…

 

どうしよう…

 

ん! 何でこんなことになってんのかな?

 

賞与が少なくなって、退職考えた

 

子供達と向き合いたくて、考えた

 

外に出て見ると、もっと不自由で

 

気づいた。前の職場が過ごしやすかったこと。

 

自分の自由に出来たこと。

 

戻りたかったのか…

 

それで、自由な時間でパートナーと素敵な時間を過ごしたり、自分の勉強に使える。

 

貯金は…また、実績あげないとだけど…

 

今まで通りやっていたら、周りの人たち大切にしてたら、上手くいく。

 

その前に自分も大切に。

 

時間は限られているから、周りの人に手伝ってもらって

 

協力してもらいたいなら、相手を信じて話聞いて。

 

言葉に愛を乗せていこうと思う。

 

素敵な気づきに時間がかかった!

争わなくていい

人の考えや行動と自分の考えが違うと違和感や不快感を感じるけど

 

それは、一つの現象だったんだなと気づく

 

幼い頃、従わないことで、怒られたり批判されたりしたけど、それもその人の考えだっただけ

 

違うことは、間違いだと勘違いしてきた

 

それが、敵対心になったり、恐怖心になったり、同調してしまったり

 

だけど、人には必ず快、不快があって、選べるようになってる

 

快を選んでつないでいけば、豊かな人生になり。

 

不快をつなげれば、身動きできなくなる

 

というのが現実の世界にある。

 

目の前で起きていることは、魂の段階はこうだよ

と見せてくれているだけで、敵ではないらしい。

 

人と敵対しなくてよくて、ただの現象だったのだと思うと心がすごく軽くなった。

 

気づきにありがとう

愛されたかった

仕事中は、あれほど脳科学にこってきたのに、今は打って変わってスピリチュアルに夢中

 

今日の気づきは、気づく事って何だろうっていうこと

 

相手が嫌だなと思う時、自分が何かしらその人の中に、自分が嫌だと思っていることが反映されていることが多いと。

 

ふと気になったのが、「愛されたかった」というキーワード

 

たしかに、たしかに 全てにおいて、そのキーワードが心に浮かぶ

 

なのに、この人嫌だな。逆に、すぐに助けてあげないとと思っていた。

 

なんだろうね。

相手に嫌なところを見つけた時、最低だなと思っていたけど。

 

そういう風にふるまった時に、自分が自分に最低だなと声を掛けていたこと。

 

本当に「最低だな」といいたかったのかな?

 

「愛されたかった」というキーワードから考えると

 

その部分が癒されたかった。その部分まで愛されたかった。

 

いじわるされるかもしれない・何かを奪われるかもしれないが逆転して

 

「いじわるしたら嫌われる・何かを奪えばきらわれる」それでも愛されたかった

 

突き詰めていえば、自分のものすごく嫌な部分を愛せるか、愛してほしかったのではないだろうか。

 

綺麗な自分をイメージしがちだけど、人間に生まれてきたのだから、いいところも悪いところもある。

 

自分の嫌なところを隠さないで、そんなところも愛してほしかった

なのか。

 

あまりにも自分に対してきれいなイメージをもちすぎていたのか。

 

だけど、地球上では、陰陽があり、きれいなところもきたないところもある。

 

それを両方認めた所で、一番いいのは何かを選ぶことが出来るんだ。

 

そういうことだったのか。

 

だれも自分の汚いところ見たくない・知りたくない・自覚したくない

 

だから責める・怒られる・閉じ込める。

 

閉じ込めすぎたー!

 

確かにいい子になろういい子になろうと他人軸になればなるほど、問題行動や心が苦しかったな〜

 

他人の期待に答えると自分が崩れたり、疲れるんだな

 

自分の気持ちに答えてあげることが大切なんだな〜

気づき

物事が上手く行かないと反省したり、自分をせめたりするけど

 

大事なのは、自分を大切にして、心地よいと思うことをすること。

 

解決しなくてはとか、反省しなくてはとかなくていいんだな〜

 

それは一つの経験なんだな〜